自転車と私 杉原荘元(当社設立者)

(抜粋)

ごあいさつ

 私が生まれて初めて、自転車に出会ったのは何時か、それを乗り回すようになってのはなったのは何時か、まったく記憶がない。われわれの子供の頃は子供車というものがなくて(実際にはあったかもしれないが)、皆、大人用の自転車を利用していたのを憶えている。勿論、子供のことで、サドルを上から跨いで乗ることは不可能で「三角コギ」と云って、片足を自転車のフレームの三角形の中に入れ反対側のペダルに足を乗せ、(体は自転車にぶら下がるような変なかっこうをして)だからペダルは一回転できなくて半分コギのくり返しをやって、自転車を前進させていた。大人からみると非常にあぶなくみえたのだろう、見つかると父親にひどく怒られた。父親、兄がアマチュアー自転車競技の選手(第1回アジア大会日本代表選手)の関係で、私も少なからず影響を受け、はずかしながら東京都代表で、第5回国体、高校の部で自転車競技に参加した経験を持っている。とにかく自転車との付合は物心ついた頃からで古くて、長い。知らず知らずのうちに自転車のメカニズム、特性等は身につけていったことと思う。

 私が職業として建築のデザインを選び、一時期自転車とはまったく縁がなくなってしまったが、ふとしたきっかけで、再び自転車とかかわりを持つようになって(昭和45年、大規模自転車道路企画調査)早や17年が過ぎた。

 昭和47年、総武線小岩駅高架下に我国初めての公営自転車駐車場が誕生してから足かけ15年になる。幸いにして、その第1号の自転車駐車場に関係して以来、私も自転車駐車場の設計を早や15年やってきたことになった。

 自転車駐車場を「置場」という過去の暗いイメージから脱却させ、及ばずながら近代的な都市施設として、又は、立派な建築物として市民権を得ることを念願してそのデザイン、設計の質の向上に努力してきた。昭和60年度末、全国で、その数、約158,000台、287ヶ所にもなった。勿論、これまで出来たのは私一人の力ではない。仕事上で全国各地で出会った多くの人達、美しい自然が、建築が、都市が私を支え、リフレッシュさせてくれたからである。所員の日夜弛まぬ努力の結晶でもある。

昭和61年9月   杉原荘元

〜 「都市・自転車・建築 - 15年のあゆみ - 」(昭和61発行)より




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最終更新:2009年08月06日